ハッシュタグ エッセイコンテスト用 お題「平成」 賞金狙い 大衆向けに書いた 途中からは面倒臭くなった

 スマートフォンをなくしてしまった。歩いている時に落としたんだろうか、バスか電車に置いてきたんだろうか、実はカバンの奥に入っていてなくしてないんだろうか。交番や交通局に問い合わせてみても、持っている全てのカバンをひっくり返してみても、私の相棒は見つからない。何処に行ってしまったんだろう。パソコンにバックアップは取っているものの、四六時中私の手の中にあったスマートフォンがないというのはどうも落ち着かない。まぁ、別に良いか。現代の若者のほとんどが軽度のスマートフォン依存症なのは間違いなく、私もそこそこに依存しているものの、反骨心がでてきた。今月が終わるまで、あと一週間LineもTwitterInstagramもなしで過ごしてみよう。

 

 平成についてと言っても平成生まれの私は平成以外の時代を知らない。昭和や大正、明治などは教科書やテレビの中で語られることしか知らない。比較が出来ない以上、客観的に語ることは出来ないのだが、平成生まれ、平成育ち、そして次の時代の中心世代として書きたいと思う。時代と個人の軋轢というのは、多くの作品のテーマになっている。リチャード・パワーズカート・ヴォネガット・ジュニアなどは私の知る限り、時代と個人の関係を最も上手く描いた作家である。彼らの作品が、私に時代について考えるきっかけを与えてくれた。時代は無数の個人が集まって作り上げるものだが、その無数の個人達は時代によって産み出されている。ある個人が、成長の過程において異なる時代に過ごせば、かなり違った人間に育つのに異論はないだろう。私だって、昭和という時代に生まれ育っていれば、今とは随分と違った人間になっていたに違いない。

 

 連絡ツールが電子メールからメッセージアプリに取って代わられてから、どれぐらい経ったんだろうか。確かに便利だし、もはや電話番号はおろかメールアドレスも知らない友達がほとんどだ。そのメッセージアプリのアカウントごとスマートフォンをなくしてしまったんだから、誰とも連絡がつかない。多分、誰かからメッセージは届いているんだろうけど、私はそれを読むことができない。いつも通りの面子からの他愛も無い内容か、何年も連絡してない旧友からか、親からの真剣な相談か、ドイツ人からのチャットか、何かわからないんだけど、きっと私のアカウントには、私という個人にあてられたメッセージが届いている。私も誰かに連絡すべきこともあるし、誰かに話しかけたい日もある。

 

 いわゆる「ゆとり」世代と言われる根性のない平成の若者達が、大日本帝国時代に生まれ、徴兵されて戦地にむかっていれば、それなりの英雄になっていたんだろうか。未曾有の就職難だったのロストジェネレーション達と日本の素晴らしい発展を支えた団塊の世代がそっくりそのままメンバー入れ替えがあれば、結果と個人の幸せはどれぐらい違ったのだろうか。そんな妄想に意味はないのだが、自分の生まれる時代を選べるとしたら、好奇心やノスタルジーは捨象して考えた場合、私達平成世代の多くは、また平成を生まれる時代として選ぶのではないだろうか。少なくとも私は、平成が良い。冒頭でも述べた通り、平成生まれの我々は平成以外の時代を知らないのだが、平成を選ぶだろう。

 

 このまま、誰からのメッセージに対しても既読せず放置していたら、一人暮らしの私の部屋には、誰かがピンポンを押しにくるのだろうか。そんなかまってちゃんみたいな思考に至るにはもう、大人になりすぎているような気もする。平成生まれとは言え、世間的に見れば私は大人だ。連絡を迅速に返すのは大人の基本だろう。しかし、メッセージアプリなんかなかった時代を思い出す。私のパソコンのメールアドレスには一通もプライベートなメールは届いていない。メッセージアプリやSNSに依存している世界が不自由に思えてきた。そんな電力とネットワーク電波みたいな曖昧なものでしか、我々は繋がってないんだろうか。軽度にスマートフォンに依存していた自分も、不自由だったと反省した。

 

 時代が変われども、変わらないものがある。今、ここで経験されていることは、過去においても経験され、そして未来でも経験されるという人生の構造を、カート・ヴォネガットは「スローターハウス5」という小説で示した。4次元を見ることができるトラルファマドール星人という宇宙人は、人生におけるすべての瞬間を見てきており、その運命に抗うような行動はできない。この小説では、ある一人の地球の人間がトラルファマドール星人と伴に時間の中に解き放たれるのだが、あまりにも残酷な戦争も虐殺も拷問も自分が殺される運命も、「まぁ、そういうものだ。」で済ませる。抗えない運命に対して、自由意志を以て新たな道は切り開かれない。トラルファマドール星人達は、自分達の訪れた30以上の惑星の中で、自由意志なんていうものを信じている生命は地球人だけだと言う。

 

 スマートフォンという連絡ツールを失くしてしまい、誰とも繋がれない状況を不自由と感じるのか、スマートフォンの中の世界が全てになってしまい、大切なものが見えなくなってしまうのが不自由なのかわからなくなって来てしまったなぁ。いっそ世捨て人になって、今の関わりを全て断ち切って、数年後にひょっこりと今のコミュニティーに現れてやろうかなんてことも考える。「時間旅行してたんだ。」なんて笑えない冗談だけで、また友達になってくれるんだろうか。「なにも言わず去る」ことって格好良いように思えるけど、実際は迷惑なんだろうな。でも、自分程度の個人がいなくなって、この世界にどの程度の影響があるんだろうか。そろそろ、スマートフォンを失くしてから5日ほど経っている。

 

 蛙の子は蛙。変わらない者は変わらない。時代が変わっても、変わらないものとは一体どんなものなのだろうか。普遍的に不変なもの。人間は過ちを繰り返すし、歴史は変わらない。おそらく、人類史の大きな流れは、それこそ運命づけられているように思う。どれ程、地球の環境が破壊されたり、資源を使い切るかというのは学術的に正しく予想され得るだろう。しかし、その大きな流れを生み出す、個人というのは非常に曖昧な存在である。少しのインプットで、大きく幸せにもなり得るし、不幸せにもなり得る。だからこそ、自由意思が存在するのではないだろうか。ある個人における、人との出会いや、私の場合においてはカート・ヴォネガットの小説との出会いなどで、一つの人生は大きく変わる。個人の幸せや不幸せは、少しの意思で大きく変えることができる。

 

 私が属していたコミュニティーは主に、家族、親戚、高校、大学のクラス、大学のサークル、程度でしかない。そのどれでもなく知り合った友人が10人程度いる。おそらく平均的な交友関係だろう。その全員とメッセージアプリとSNSでしか繋がっていなかったのかと思うと不思議な気持ちである。いや、むしろ繋がっていたのかさえ怪しくなってくる。繋がるとはどういうことなのだろう。繋がると信じていただけなのだろうか。人との繋がりは、国民国家という枠組みのような、領土によって定義されない、全員があると信じていて初めて存在し得る宗教のようなものに似ている。私の友達は、ここにはいない。しかし、スマートフォンの操作によっていつでもコンタクトを取ることが可能だし、会う予定を立てることもできるということをほとんど全員が無意識に認識している。そんなもの、ただの二進法のプログラミングに過ぎないのに。相手の顔が見えなくても、文字だけでコミュニケーションを取ることができるというのは、完全にある種の信仰が前提になっているように思える。

 

 平成が始まって間もなく生まれた私の人格を形成したのは、今まで出会ったすべての人々だ。その人々が昭和に生まれたか、平成に生まれたかは別に関係なく、平成に育った私に関わった。すでに亡くなっていた人達も、書籍などメディアという形で、私の人生に関わってくれた。その全ての人々によって私の人格は形成された。それは後天的なもので私が取捨選択し、獲得していった人格である。それとは別に、私の遺伝子をもった生命体としての特性がある。後天的に獲得した人格があまりに大きなファクターなので、それを捨象し、私の先天的遺伝子的特性に関して語ることは難しいのだが、理論的には私の本質、イデアとして存在するはずである。私という個人が、時代という大きなファクターを通して、どのように生きて、どのような人間になったかというのが、また時代を作る小さな小さな構成要素なのだ。そして、次の時代に生まれてくる子供達の人格を形成していくのだ。

 

 あぁ、もう限界だ。あいつと飲みに行きたい。あの子は今日も東京で一人で働いてるんだろうか。昔の恋人に久しぶりに連絡してみたい。お父さんはお母さんの墓参り行ってるんだろうか。Hallo, wie geht es dir, mein Freund? 明日、新しいスマートフォンを契約しに行こう。パソコンのバックアップから復活できるはずだ。たくさん、メッセージが届いてるんだろうな。SNSも更新したいな。スマートフォンなくしてましたという言い訳の投稿からだろうか。この接続過多の世界からはどうにも逃げ出せないみたいだ。この得体の知れないものを盲目的に信仰するのはなんて幸せで楽なんだろう。私は一人にはなれない。

 

 平成という時代を過去や未来から覗いてみるとどういう時代なのだろうか。元号が変わったからといって、昭和の最後の1年と平成最初の1年が劇的に変わったとは思えないし、平成最後の年と次の5月からの時代が変わるわけではない。冒頭で述べた通り、私はまだ、平成以外の時代を知らない。それでもしいて、平成がどんな時代だったかと説明しなければならないとしたら私はこう言うしかないだろう。

 

 平成とは私という個人が生まれ、育った時代だ。